江戸荻原銭類
江戸荻原銭類

元禄期推定。元禄期の
江戸本所亀戸村での鋳銭
記録に対応するものとして
充当されているが、確証
はない。
当類と次掲の京都荻原銭
類とは、ともに勘定奉行の
荻原重秀の建議により鋳
銭されたという伝承のあ
るもので、双方を合わせて
荻原銭という。書風は京都
荻原銭に似ているが、
平均的に少し小型であり、
銭文もやや小さく、背郭
が大きいなどといった違
いが見られる。
厚肉

京都荻原銭に対して厚肉
と称されているが、実際
には厚みはそれほど変
わらない。背がより深彫
りなので厚肉に見えると
いうことであろう。

元禄3年(1700年)

ハドソン 寛永通寶図会

115番400円
江戸荻原銭類

厚肉抱寛

当銭と前掲の厚肉は、後
掲の厚肉高寛洽水にくら
べてやや肥字である点が
共通している。「寛」の冠
が抱冠で、永柱が俯さず
に直線的である点が、厚
肉とは異なる。

元禄3年(1700年)

ハドソン 寛永通寶図会

116番300円
江戸荻原銭類

厚肉高寛洽水

厚肉高寛(未入手)に類似
するが、 「永」のフ肩の位
置が低く、接画との二点
が郭の下辺に対してほぼ
平行線上に並んでおり、
また、「寶」の王と尓との間
隔が広い。

元禄3年(1700年)

ハドソン 寛永通寶図会

118番1000円
京都荻原銭類
京都荻原銭類

元禄期推定。元禄期の
京都七条での鋳銭記録
に対応するものとしてい
るが、確証はない。
当類と前掲の江戸荻原銭
類とは、ともに勘定奉行の
荻原重秀の建議により鋳
銭されたとの伝承のあるも
ので、双方を合わせて
荻原銭という。書風は江
戸荻原銭に似ているが、
平均的に少し大型であり、
銭文もやや大きく、背郭が
小さいなどといった違いが
見られる。
正永

京都荻原銭の中で唯一
「永」の点が草点になって
いないので、正永とされ
る。「永」の肩が特に丸
みを帯びる点も特徴的
である。

元禄3年(1700年)

ハドソン 寛永通寶図会

119番300円
京都荻原銭類

草点永

前掲の正永にくらべ「永」
のノ爪がやや縦向きで、
永点が草点である。ま
た、次掲の草点永進永に
似ているが、寛足が高く、
永柱が俯しておらず、
「通」のコ頭と用との間隔
が少し狭い。

元禄3年(1700年)

ハドソン 寛永通寶図会

120番200円
京都荻原銭類

草点永進永

前掲の草点永に似るが、
寛目が縦長であり、寛足が
低い。永柱が少し俯してお
り、「通」のコ頭と用との間
隔が少し広い。また、 次掲
の草点永洽水とは「永」が
洽水になっていないこと、
永点が大きいことなどが
異なる。

元禄3年(1700年)

ハドソン 寛永通寶図会

121番300円
京都荻原銭類

草点永洽水

通称「草点永進永洽水」。
前掲の草点永進永に似る
が、永点が小さいく、フ肩
と接画とが、郭の下辺に対
して ほぼ平行線上に並ん
でいるといった相違が見ら
れる。

元禄3年(1700年)

ハドソン 寛永通寶図会

122番300円
不旧手旧十万坪銭類
不旧手旧十万坪銭類

鋳地不明、元禄期推定。
享保期の京都七条銭とさ
れている類の銭文筆者が
長崎屋不旧であるという伝
承から、それと同書風の
マ頭通の特徴を持つもの
を総称し、不旧手としてい
る。当類は、旧来の銭譜
では享保期とされてい
たが、近世遺跡の出土
状況から、元禄期鋳造
の可能性が極めて高い
  といえる。 →
可能性がから
→後掲するものの中で、
特に不旧手七条銭類と
不旧手藤沢銭類との書風
が類似しているので。同座
の鋳造である可能性も
考えられるが、
不旧手七条銭類は当銭
より平均して赤みが少し
強く、また、やや大型で、
不旧手藤沢銭類は当銭
より平均して白みが強い
などの差が見られるので、
同座の鋳造であっても
鋳造時期は異なることも
考えられる。
不旧手旧十万坪銭類

広目寛 母銭

次掲の狭目寛に酷似する
が、寛目が小さく少し横長
なこと、「永」の頭とフ頭と
が平行に近いことなどが異
なる。また、当銭と 次掲の
狭目寛は、その他の3種に
比べて銭文がやや大きく、
「寛」の爪が長い、「永」の
点がやや縦向きで、ノ爪が
短いなどの特徴がある。

享保11年(1726年)

ハドソン 寛永通寶図会

123番25000円
不旧手旧十万坪銭類

広目寛 通用銭

次掲の狭目寛に酷似する
が、寛目が小さく少し横長
なこと、「永」の頭とフ頭と
が平行に近いことなどが異
なる。また、当銭と 次掲の
狭目寛は、その他の3種に
比べて銭文がやや大きく、
「寛」の爪が長い、「永」の
点がやや縦向きで、ノ爪が
短いなどの特徴がある。

享保11年(1726年)

ハドソン 寛永通寶図会

123番200円
不旧手旧十万坪銭類

狭目寛

前掲の広目寛に酷似して
いるが、寛目が少し縦長な
ことや、「永」のフ頭の俯す
角度が、頭の俯す角度に
比べてわずかに緩やかな
ことなどの違いが見られる。

享保11年(1726年)

ハドソン 寛永通寶図会

124番200円
不旧手旧十万坪銭類

高寛 母銭

後掲の長目寛や小目寛に
酷似するが、それらにくらべて寛目が小さく、寛前足が
やや縦向きである。また、
「永」のフ肩と柱との間隔
が少し広く、郭の右辺に対
する「通」のチャク頭の位置
がやや降る。

享保11年(1726年)

ハドソン 寛永通寶図会

125番20000円
不旧手旧十万坪銭類

高寛 通用銭

後掲の長目寛や小目寛に
酷似するが、それらにくらべて寛目が小さく、寛前足が
やや縦向きである。また、
「永」のフ肩と柱との間隔
が少し広く、郭の右辺に対
する「通」のチャク頭の位置
がやや降る。

享保11年(1726年)

ハドソン 寛永通寶図会

125番100円
不旧手旧十万坪銭類

長目寶

通称「濶縁」。
前掲の高寛や次掲の小目
寶に酷似するが、当銭は、
寛足がやや低く、「通」の
チャクの揮部が少し長く、
寶目は少し大きく縦長
である。

享保11年(1726年)

ハドソン 寛永通寶図会

126番100円
不旧手旧十万坪銭類

小目寶

前掲の高寛や長目寶に
酷似するが、当銭は、それ
らにくらべて「通」のマ頭が
少し大きく、寶目が小さい
(縦に短い)。

享保11年(1726年)

ハドソン 寛永通寶図会

127番100円
不旧手七条銭類
不旧手七条銭類

旧説は享保11年
(1726年)山城国京都七条
鋳とするが、この年代には
疑問がのこる、なお検討を
要する。          →
→              
当類は、特に後掲不旧手
横大路銭類の多くと字画
細部の特徴を一にするが、
色調が赤茶系で、平均し
て少し大型である。

不旧手七条銭類

進永 母銭

後掲の退永や退永小通に
くらべて、「永」が進み、柱
が俯している。また、「永」
の肩の位置は、寛目の中
心よりも少し進んでいる。

享保11年(1726年)

ハドソン 寛永通寶図会

130番15000円
不旧手七条銭類

進永 通用銭

後掲の退永や退永小通に
くらべて、「永」が進み、柱
が俯している。また、「永」
の肩の位置は、寛目の中
心よりも少し進んでいる。
通用銭の内径は、おおよ
そ19.95mm程度。

享保11年(1726年)

ハドソン 寛永通寶図会

130番100円
不旧手七条銭類

退永 母銭

前掲の進永や後掲の退永
小通にくらべて、「通」のマ
頭横引きの俯す角度が少
し急であり、「永」の肩が郭
の下辺中央のほぼ真下に
位置し、寛目の中心よりは
少し退く。

享保11年(1726年)

ハドソン 寛永通寶図会

131番15000円
不旧手七条銭類

退永 通用銭

前掲の進永や後掲の退永
小通にくらべて、「通」のマ
頭横引きの俯す角度が少
し急であり、「永」の肩が郭
の下辺中央のほぼ真下に
位置し、寛目の中心よりは
少し退く。通用銭の内径
は、おおよそ20.00mm
前後。

享保11年(1726年)

ハドソン 寛永通寶図会

131番100円
不旧手七条銭類

退永小通 母銭

前掲の退永にくらべると
「永」の字が進んでおり、
進永に近い。ただし、「永」
の肩の位置は、寛目の中
心のほぼ真下である。ま
た、進永にくらべて寛目が
縦長で、「寶」の冠の横引
きの位置が昂がり、郭の
上辺の延長線上に近い。

享保11年(1726年)

ハドソン 寛永通寶図会

132番15000円
不旧手七条銭類

退永小通 通用銭

前掲の退永にくらべると
「永」の字が進んでおり、
進永に近い。ただし、「永」
の肩の位置は、寛目の中
心のほぼ真下である。ま
た、進永にくらべて寛目が
縦長で、「寶」の冠の横引
きの位置が昂がり、郭の
上辺の延長線上に近い。
通用銭の内径は、おおよ
そ20.00mm前後。

享保11年(1726年)

ハドソン 寛永通寶図会

132番100円
不旧手横大路銭類
不旧手横大路銭類

元文元年(1736年)、
山城国乙訓郡横大路村で
鋳造開始と伝えられてい
る。前掲の不旧手七条銭と
字画細部の特徴は同一
であるが、平均的な直径
や内径、銭文径は若干小
さく、色調も不旧手七条銭
が赤茶系であるのに対し
白系〜黒茶系である。
なお、横大路銭座では、
後に請負人が仲間割れし、
同所で2ヶ所に分かれて
鋳造したという。それらは、
請負人名を採って清水銭、
有来銭と呼ばれる。
不旧手横大路銭類

横大路進永半刮去

横大路進永

不旧手七条銭類の進永と
銭文の特徴は同一で、色
調や内径が異なるのみ。
なお、通用銭の内径は、
19.70mm前後のものと、
次鋳と見られる19.40mm
前後のものとがある。

元文元年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

133番300円
不旧手横大路銭類

横大路進永半刮去

「寛」の見の爪が短いこと
以外は、横大路進永と
同じ。
爪の短いものは横大路銭
の3種ともに存在し、何ら
かの目的で意図的に原母
銭を加工して爪を短くした
ものと考えられる。なお、
横大路進永と同様に内径
の大小がある。

元文元年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

136番400円
不旧手横大路銭類

進永異爪寛

「寛」の見の爪が左上に延
びていること以外は、横大
路進永と同じ。
爪の形状は必ずしも一
定ではないが、横大路銭
の3種ともに存在し、半
刮去を何らかの目的で
意図的に加工したもの
で、偶然の鋳溜まりでは
ないと思われる。

元文元年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

139番5000円
不旧手横大路銭類

横大路退永

不旧手七条銭類の退永と
銭文の特徴は同一で、色
調と内径などがが異なる
のみ。
なお、 通用銭の内径は、19.75mm前後のものと、
次鋳と見られる
19.40mm前後のものとが
ある。

元文元年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

143番200円
不旧手横大路銭類

横大路退永(磨輪)

横大路退永より直径が
小さく、輪幅が細いもの。

元文元年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

144番200円
不旧手横大路銭類

退永半刮去 母銭

「寛」の見の爪の短いこと
以外は、横大路退永と
同じ。
爪の短いものは、横大
路銭の3種ともに存在し、
何らかの目的で意図的
に原母銭を加工して爪を
短くしたものと考えら
れる。なお、
横大路退永と同様に内径
の大小がある。

元文元年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

145番35000円
不旧手横大路銭類

退永半刮去 通用銭

「寛」の見の爪の短いこと
以外は、横大路退永と
同じ。
爪の短いものは、横大
路銭の3種ともに存在し、
何らかの目的で意図的
に原母銭を加工して爪を
短くしたものと考えら
れる。なお、
横大路退永と同様に内径
の大小がある。

元文元年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

145番300円
不旧手横大路銭類

退永半刮去(陰目寛)

「寛」の 二引きが陰起す
る。不旧手伏見銭類の面
文にも同様の特徴が見ら
れるので、当銭を原型にし
て製作したことが考えら
れる。

元文元年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

147番300円
不旧手横大路銭類

退永異爪寛

「寛」の見の爪が左上へ
長く延びているいこと
以外は、横大路退永と
同じ。
爪の形状は必ずしも一定で
はないが、横大路銭の3種
ともに存在し、何らかの目
的で意図的に加工したも
ので、偶然の鋳溜まりでは
ないとおもわれる。

元文元年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

149番3000円
不旧手横大路銭類

退永全刮去

「寛」の見の爪がないこと
以外は横大路退永と同じ。

爪のないものは、横大路銭の3種ともに存在し、何ら
かの目的で意図的に
原母銭を加工して
爪を刮去したものと
考えられる。

元文元年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

151番400円
不旧手横大路銭類

退永小通半刮去

「寛」の見の爪の短いこと
以外は横大路退永小通
と同じ。爪の短いものは、
横大路銭の3種ともに
存在し、何らかの目的で
意図的に原母銭を加工
して爪を短くしたものと
考えられる。

元文元年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

155番300円
不旧手伏見銭類
不旧手伏見銭類

元文元年(1736年)、
山城国紀伊郡伏見で
鋳造開始とされるもの。
当類は、前掲した不旧手
横大路銭中の退永半刮去
(陰目寛)を原型としたも
のと考えられる。
異なる点は、「通」の用の
上梁が少し短く、前柱と
離れていることである。
また、当類に限り、背の
輪幅が退永半刮去
(陰目寛)にくらべて広い
ものが2種(輪幅や背の
内径が異なるもの)存在
する。
陰目寛

寛字のサ画と見画の二引
とが陰起し、「通」の用画の
1,2画は接しない。
面文の特徴は、後掲の
2種と同一であるが、
当銭は背の内径が大きい
(通用銭で18mm程度)。

元文元年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

161番1000円
不旧手伏見銭類

陰目寛 背中濶縁

面文の特徴は。陰目寛と
同一であるが、
背の内径がやや小さく
(通用銭で16mm程度)、
背の輪幅がやや広い。

元文元年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

162番2000円
不旧手伏見銭類

陰目寛
背中濶縁(磨輪)

面文の特徴は。陰目寛
と同じであるが、直径が
小さく、輪幅が細いもの。

元文元年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

163番2000円
不旧手伏見銭類

陰目寛 背大濶縁

通称「蛇の目」。
面文の特徴は陰目寛と
同一であるが、
背の内径がかなり小さく
(通用銭で13mm程度)。
背の輪幅が広く、輪と郭と
の間隔が極端に狭く
なる。

元文元年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

164番20000円
不旧手藤沢銭類
不旧手藤沢銭類

元文2年(1737年)、
相模国足柄上郡藤沢村で
鋳造開始とされる。  →

→ 当類は、書風の類似性
から、不旧手旧十万坪銭
と同座のものという可能性
もあるが、平均的な色調が
やや異なることから、
同座のものであっても
鋳造時期が異なることが
考えられる。
藤沢銭 母銭

輪幅がやや広めで、不旧
手旧十万坪銭に類似する
が、当銭は、郭に対して
「通」が上に偏るのが
特徴。マ頭の横引きが、
郭の上辺の延長線上に
近い位置にあるというこ
とで判別するとわかりや
すい。色調は平均して
やや白味を帯びる。

元文2年(1737年)

ハドソン 寛永通寶図会

165番25000円
藤沢銭 通用銭

輪幅がやや広めで、不旧
手旧十万坪銭に類似する
が、当銭は、郭に対して
「通」が上に偏るのが
特徴。マ頭の横引きが、
郭の上辺の延長線上に
近い位置にあるというこ
とで判別するとわかりや
すい。色調は平均して
やや白味を帯びる。

元文2年(1737年)

ハドソン 寛永通寶図会

165番300円
佐渡銭類
佐渡銭類

佐渡国では、雑太郡相川
において、正徳4年
(1714年)に鋳造が開始
され、以降、幕末にかけて
断続的に鋳造されている。
収集界では、佐渡銭を
史実に見られる鋳期に
推定・充当しており、
正徳期、享保期、元文期
(寛保期)、天明期、
明和期、文久期に区分
している。
佐渡銭は、背に「佐」字を
鋳出した背佐銭が多く鋳
造されたが、元文期や明
和期は無背銭も鋳造され
ている。元文期、文久期
には鉄銭も鋳造されてい
る。特に文久期には鉄銭
のみの鋳造であった。
佐渡銭類

正徳背佐

背の「佐」の字は異書体の
「佐のエ→ヒ」字をやや崩し
たしたものである。「永」の
点が柱に対して進み、点と
頭との間隔が狭く、「通」の
点とチャク頭との間隔が狭い
など、日光御用銭(未入
手)と類似した特長を
有す。

正徳4年(1714年)

ハドソン 寛永通寶図会

175番1000円
佐渡銭類

享保背佐

通称「広佐」。
「佐」字の連画の膨らみ
が大きい。面文の特徴
は、文無背銭の縮字勁
文無背と同一で、文無背
銭を原型として、背に
「佐」字を嵌入して
原母銭が製作されたと
考えられる。なお、当銭
は母銭の修正によると
見られる「佐」字の変化
が著しい。

享保2年(1714年)

ハドソン 寛永通寶図会

176番1000円
佐渡銭類

享保背佐(狭佐)

「佐」字が横に縮み、連画
の膨らみがやや縦長にな
る。享保背佐は旧来、広
佐・狭佐・縮佐に区分され
るが、ここでは広佐を基本
体として、他は鋳造上の修
整に伴う変化という見方で
分類している。厳密にはこ
れらの中間のものも存在
する。

享保2年(1714年)

ハドソン 寛永通寶図会

178番500円
佐渡銭類

享保背佐(狭佐次鋳)

享保背佐(狭佐)より、
直径、内径、銭文径
いずれも小さい。

享保2年(1714年)

ハドソン 寛永通寶図会

179番1500円
佐渡銭類

享保背佐(縮佐)

「佐」の字が縦に縮み、
連画の膨らみがやや
横長なにる。縮佐は、
「佐」の字形の変化が
特に多い。
元文2年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

181番600円
佐渡銭類

享保背佐(縮佐次鋳)

享保背佐(縮佐)より、
直径、内径、銭文径
いずれも小さい。
内径は19.15mm前後。

元文2年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

182番3000円
佐渡銭類

享保民鋳背佐

通称「民鋳広佐」。
享保20年以降、請負制に
変更後の鋳造銭種と推定
されているもの。
銭文の特徴は 享保背佐
とほぼ同じだが、「永」の跳
ねがない。また、享保背佐
より平均して直径、
内径、銭文径が小さい。
通用銭の内径は19.50mm
前後。

元文2年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

184番3000円
佐渡銭類

元文背正佐

永柱の跳ねがないほか
は、面文は後掲の元文期
十万坪銭類の含二水永に
同じ。含二水永を原型とし
て、背に「佐」字を嵌入して
原母銭が製作されたと見
られる。おおむね白系〜
黒茶系の色調で、鋳肌が
粗く、やや強い磁性があ
る。多くは「佐」字が不明
瞭。

元文2年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

187番500円
佐渡銭類

元文背濶佐(断佐)

前掲の元文背濶佐
(未入手)は、
「佐」の末画が連画よりも
左側に延びているのに対
し、当銭は連画との接点
で途切れている。

元文2年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

189番15000円
佐渡銭類

佐渡含二水永

元文期十万坪銭類の含二
水永と面文の特徴は同一
であるが、おおむね白系
〜黒茶系の色調で、鋳肌
が粗く、やや強い磁性
がある点などが、元文期と
される背佐銅銭類と共通
することから、佐渡鋳と推
定されている。

元文2年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

190番400円
佐渡銭類

元文期背佐(鉄銭)

面の書風は十万坪含二水
永と似ているが、四文字と
もに大きい。背佐銭の鉄銭
には文久期のものもある
が、それにくらべて寛目が
狭く、寶貝がハ貝寶であ
る。また、元文期鉄銭は、
「佐」字の第5画と第6画
とを1画に省略(連画)し
ていないのでの判別は
容易。

元文2年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

192番800円
佐渡銭類

明和背佐

書風は含二水永に似てい
るが、面文が大きく、特に
「永」のフ撓が左に長く延
びることや、「通」の字が
郭に対して上に偏っている
ことが目立つ。当銭は、特
に直径のばらつきがあり、
掲載銭のものは平均的
な直径である。

元文2年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会

196番2000円
佐渡銭類

明和背佐(磨輪)

明和背佐より輪幅が
やや細く、直径が小さい。
明和背佐(磨輪)は、掲載
品程度の大きさのものが
多い。

元文2年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会
ハドソン寛永通宝図会
197番5000円
佐渡銭類

明和背佐(次鋳)

前掲の明和背佐(磨輪)
と同様に直径、が小さい
が、当銭は内径、銭文径
も小さい。
通用銭の内径は
17.90mm前後。

元文2年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会
ハドソン寛永通宝図会
199番1000円
佐渡銭類

明和背佐刮去

「佐」字刮去されたもの。
内径は次鋳と同じ程度。
明和背佐ほどではない
が、直径にばらつきが見
られ、掲載銭のものは平
均的な直径である。
また、刮去した「佐」字の
痕跡がわずかに認められ
るものもある。

元文2年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会
ハドソン寛永通宝図会
201番5000円
佐渡銭類

文久背佐(鉄銭)

面文の特徴は、後掲亀戸
鉄銭類の亀戸小様や小菅
銭類と同一で、背に楷書の
「佐」字を鋳出している。
すなわち、 「佐」字の第5
画と第6画とを1画に省略
(連画)していない。

元文2年(1736年)

ハドソン 寛永通寶図会
ハドソン寛永通宝図会
202番1000円