乾封泉宝 面

武徳銭に次いで鋳造した。
読み方が上→右→下→左
の循読(廻読)である。

この事が武徳銭の読み方に
ついての開元通宝派との論
争では、開通元宝説派の
論拠の一つである。また、
彼等は武徳4年から45年
しか経過していないと説く。

唐 三代 高宗(李治)
乾封元年(666年)
乾封泉宝 背

この改鋳で、開元通宝10枚
と乾封通宝1枚の価値が
等しいものと定めたが、
きわめて不評で短期間で
鋳造をやめて、再度
開元通宝を鋳造した。

本邦では和同開珎から
最初に万年通宝を改鋳
したとき(760年)に倣って
和同開珎10枚で万年通宝
1枚の価値が等しいものと
定められた。
(乾元重宝
 小平 無背
俯元低足元

唐 七代 粛宋(李亨)
乾元元年(758年)始鋳

乾元重寶銭譜202番 
乾元重宝 小平 濶字

唐 七代 粛宋(李亨)
乾元元年(758年)始鋳

乾元重寶銭譜133番 0.5
(乾元重宝 小平聳元

唐 七代 粛宋(李亨)
乾元元年(758年)始鋳
(乾元重宝 小平兀(コツ)元

唐 七代 粛宋(李亨)
乾元元年(758年)始鋳

穴の細道148番 7
不挑元の乾元

拓図の銭は別の兀元銭。
(乾元重宝 小平 勁元

唐 七代 粛宋(李亨)
乾元元年(758年)始鋳

乾元重寶銭譜207番 
乾元重宝 小平
痩字背反郭 背上星文

唐 七代 粛宋(李亨)
乾元元年(758年)始鋳

乾元重寶銭譜196番 
(
(乾元重宝 小平 背上月文

唐 七代 粛宋(李亨)
乾元元年(758年)始鋳
昭和泉譜記載
乾元重宝 小平 背下月文

唐 七代 粛宋(李亨)
乾元元年(758年)始鋳
乾元重宝 小平 背右月文

唐 七代 粛宋(李亨)
乾元元年(758年)始鋳
(乾元重宝  小平
俯元 低足元 背下瑞雲

唐 七代 粛宋(李亨)
乾元元年(758年)始鋳

乾元重寶銭譜266番 15

乾元重宝
小平 開元通宝ジョウ置銭
平頭通手

唐 七代 粛宋(李亨)
乾元元年(758年)始鋳

乾元重寶銭譜311番 
乾元重宝  小平 背上瑞雲

唐 七代 粛宋(李亨)
乾元元年(758年)始鋳

乾元重寶銭譜344番 25

穴の細道149番 1

瑞雲
乾元重宝 当十 面
玄宗の次代の 粛宋は、
財政の窮乏を救済する手段
としての當十、次いで當五十
の大銭を発行した。
即、物価が騰貴し、餓死
するもの道に満つという
惨状を呈した。

唐 七代 粛宋
乾元元年(758年)始鋳
乾元重宝 当十 背

外径   30.5mm
至輪径  24.3mm
厚さ    1.9mm
重量     7.7g
乾元重宝 当十 面
正様 細縁

唐 七代 粛宋
乾元元年(758年)始鋳

乾元重寶銭譜
当十銭
正様 細縁
2番 

乾元重宝 当十 背
正様 細縁


外径   29.7mm
至輪径  24.5mm
厚さ     2.0mm
重量     6.6g
乾元重宝 当十兀(コツ)字 面
「元」字の2画が直線
となっている。

唐 七代 粛宋
乾元元年(758年)始鋳
乾元重宝 当十兀(コツ)字 背

外径   29.0mm
至輪径  23.7mm
厚さ    2.2mm
重量    7.9g
乾元重宝 当十
穿下瑞鳥 面

昭和泉譜 第二巻
に掲載あり。

唐 七代 粛宋
乾元元年(758年)始鋳
乾元重宝 当十
穿下瑞鳥 背

外径   30.0mm
至輪径  23.0mm
厚さ    1.9mm
重量    8.3g
乾元重宝 当五十 面
背重輪

唐 七代 粛宋
乾元2年(759年)始鋳

穴の細道149番に関連記事

重輪のほうが少ない。
乾元重宝 当五十 背
背重輪

外径   34.8mm
至輪径  27.3mm
厚さ    2.8mm
重量   18.0g
乾元重宝 当五十 面
背重輪 下瑞雲

唐 七代 粛宋
乾元2年(759年)始鋳

穴の細道149番
関連記事


祥雲があると評価が極端
にアップする。
乾元重宝 当五十 背
背重輪 下瑞雲

外径   34.1mm
至輪径  25.6mm
厚さ    1.9mm
重量   10.6g
乾元重宝 当五十 面
民鋳

唐 七代 粛宋
乾元2年(759年)頃〜
乾元重宝 当五十 面
民鋳

外径   32.5mm
至輪径  26.4mm
厚さ    2.0mm
重量    7.8g
乾元重宝 背重輪 面
民鋳

唐 七代 粛宋
乾元2年(759年)頃〜

乾元重寶銭譜
当五十彷鋳
正様写中型薄肉
108番 0.5


穴の細道149番に関連記事
乾元重宝 背重輪 背
民鋳

外径   26.0mm
至輪径  21.8mm
厚さ    0.9mm
重量    3.0g
順天元宝 当百 背上月 面

燕 史思明(安禄山の片腕)
(安禄山・史思明から
「安史の乱」と呼ぶ)
順天元年(759年)
唐の年号では、
 七代 粛宋(李亨)
乾元2年(759年)。
銭径が大きいばかり
でなく、厚さがある。
(3.1mm)

外径   36.8mm
至輪径  28.2mm
厚さ    3.2mm
重量   21.6g

穴の細道314番に関連記事
順天元宝 当百 背上月 背

第六代玄宗の後半、節度使
の叛将・史思明は、
洛陽を占領し、国名を
燕、年号を順天として、
貨幣を鋳造。
これ以後、情勢は一変し。
各地に藩鎮化する節度使
によって、唐王朝の支配が
及ぶ地域は限られたものに
なっていった。
「安史の乱」では玄宗は
都を追われ退位を余儀
なくされ、最愛の楊貴妃
まで失った。
順天元宝 当百 背下月 面

燕 史思明
順天元年(759年)

背下月は非常に少ない。
順天元宝 当百 背下月 背

外径   37.7mm
至輪径  28.2mm
厚さ    2.8mm
重量    16.4
得壹元宝 当百
背上月 濶縁  面

燕 史思明
順天元年(759年)
唐の年号では、
 七代 粛宋(李亨)
乾元2年(759年)。

穴の細道634番B 1
濶縁
得壹元宝 当百
背上月 濶縁 背

得壹元寶の4文字の意味
元号の順天ではなく
「得壹=壹を得る=第一」
「全体で第一の元寶」
となる。

外径   35.3mm
至輪径  27.0mm
厚さ    2.8mm
重量   19.6g
得壹元宝 当百 無背 面

燕 史思明
順天元年(759年)
唐の年号では、
 七代 粛宋(李亨)
乾元2年(759年)。

穴の細道634番C 1
薄肉無背
得壹元宝 当百 無背 背

外径   36.0mm
至輪径  28.2mm
厚さ    2.7mm
重量   14.4g
大暦元宝
小様
唐 八代 代宗(李豫)
大暦年間(766〜779年)
大銭の鋳造に懲りて、大銭
の発行は止めたようである。
大暦元宝の類は
唐銭の中では珍品である。

穴の細道503番に関連記事
あり。大字の大暦
この拓は大様短頭元手。
大暦元宝 
大様低頭通手 長暦

唐 八代 代宗(李豫)
大暦年間(766〜779年)
大暦元宝 
大様小字手

唐 八代 代宗(李豫)
大暦年間(766〜779年)
建中通宝

唐 九代 徳宗(李適)
建中年間(780〜783年)
唐銭の中では珍品。現在
の新彊ウイグル自治区
で作られたようである。